清五郎稲荷神社

このページでは兵庫県篠山市の清五郎稲荷神社を掲載しています。

カート


 兵庫県篠山市に残る伝説の中に、「負け嫌い稲荷神社」というものがあります。毎年江戸で開催される将軍上覧の大相撲で、篠山藩出身の力士たちはいつも弱くて負けが続いていました。ある時そこへ8名の力士と頭取、行司の計10名が篠山から突然やってきて物凄い勢いで勝ち続けました。その時幕府の老中を務めていた篠山藩主青山下野守忠裕はたいそう喜び、10名の慰労の宴を催そうとしたところ、既に全員が姿を消してしまっていました。後になって彼らの四股名が皆領内にある稲荷神社の名であることが判明して、きっと稲荷の神様たちが領主を喜ばすために一肌脱いでくれたのだろうということになり、殿様は各稲荷神社に幟を奉納して感謝したということです。以来それらの稲荷神社は「負け嫌い稲荷神社」と呼ばれるようになったのだそうです。

 今回訪ねた清五郎稲荷神社は、前頭の小田中清五郎という四股名で伝説に登場する神社です。


清五郎稲荷神社

清五郎稲荷神社 社頭(2015年1月)


 神社背後の稲荷山山頂には、6世紀頃に築造されたと考えられる全長約30㍍の前方後円墳があり、篠山市指定文化財になっています。


清五郎稲荷神社

拝殿(2015年1月)


 拝殿には力士達の絵馬が奉納されています。


清五郎稲荷神社

本殿(2015年1月)


 一間社流造の美しい本殿でした。
 境内はそんなに広くありませんが、不明な境内社が1社祀られ、立派な社務所と土俵がありました。土俵は相撲に纏わる神社の象徴のように思えます。


清五郎稲荷神社
境内の土俵と社務所(2015年1月)

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清五郎稲荷神社
 所在地: 兵庫県篠山市小田中100
 創建等の由緒は不明です。
 8名の力士のうち1名は須知山道観という前頭で、名前から船井郡京丹波町須知にある導観稲荷神社のことで、江戸時代の須知は亀山藩領でした。しかし導観稲荷神社境内の案内板にも上の伝説のことが書かれています。亀山藩の形原松平氏は青山氏と入れ替わりで篠山藩から亀山藩に転封されていて、現在の亀岡市中心部にも「負け嫌い稲荷神社」王地山稲荷神社があります。転封の時に篠山市の王地山平左衛門稲荷神社を勧請したものと思われ、「負け嫌い稲荷神社」の伝説は、青山氏が亀山藩から篠山藩に転封された寛延元年(1748年)以前からあったのかも知れません。

 導観稲荷神社はホームページ(コチラ)で紹介しています。


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