丹波 足利尊氏の足跡(7)  岩屋山 石龕寺(一)

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 石龕寺(せきがんじ)は用明天皇の丁羊(ひのとひつじ)の年(587年)聖徳太子の開基と伝わります。同年物部守屋を征伐された太子は、その時自ら刻んだ毘沙門天王像を兜の真甲に戴いて戦い、見事大勝されました。しかし戦の後この尊像が空中に飛散してしまいました。太子は尊像を探し諸国を回られたのですが、この地に来られたときに山頂にたなびく瑞雲を目にされ、雲を目指して山を登られるとそこに石窟があり、探し求めていた毘沙門天王像が安置されていたそうです。感激された太子はここに小堂を建て毘沙門天を本尊として祀られたのが石龕寺の始まりだと言われています。
 石龕寺は鎌倉時代から室町時代にかけて隆盛を極め、山門の仁王像(阿形・吽形)は仁治三年(1242年)大仏師定慶(じょうけい)の作で日本屈指の名作と称されます。

石龕寺

 南北朝時代、足利尊氏が弟直義(なおよし)との争い(観応の擾乱)に敗れ、一時西国に逃れる時に、嫡子義詮(よしあきら=室町幕府第二代将軍)と兵二千騎を石龕寺に留めました。この時、当寺の衆徒は尊氏に絶大なる忠誠心を持っていたので、軍勢の兵糧や馬の糟藁(ぬかわら)に至るまで山のごとく積み上げ、疲れた兵士たちに安らぎを与えました。また院主雲暁僧都は勝軍毘沙門の法を修して祈祷し、義詮は深く帰依し丹波国小川庄を永代の寺領と定め寄附したことが太平記第二九巻の将軍親子御退失の段に詳しく記されています。
 この時当山の僧が名物の丹波栗を献上すると義詮は栗の1つに爪跡をつけ、「都をば出て落ち栗の芽もあらば 世に勝ち栗とならぬものかは」と歌を詠みました。もしこの栗が芽を出せば天下を取り返したと思ってくれという意味で、栗を植えて去って行ったと伝わります。今でもその栗を「爪あと栗」「ててうち栗」として伝えています。
 石龕寺は戦国時代の天正七年(1579年)に、明智光秀の丹波攻めに遭い、仁王門以外のすべてを焼失してしまいました。江戸時代以降徐々に復興していき現在に至っています。
 また紅葉の寺として有名で、円通寺(氷上町)、高源寺(青垣町)と並んで紅葉丹波三山と称され、毎年11月にはもみじ祭が行われます。
 仁王門をくぐり境内を進むと水琴窟の音が迎えてくれます。人の少ない時期を狙って訪れましたが正解でした。見どころも多く、大変充実した時を過ごすことができました。


石龕寺

仁王門

石龕寺

本堂(毘沙門堂)

石龕寺

薬師堂

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岩屋山 石龕寺(高野山真言宗)
 住所: 兵庫県丹波市山南町岩屋2  問合せ:0795-77-0235
 駐車場有り。(紅葉のシーズンは有料となるようです)
 石龕寺の文化財は以下の通りです。
 国指定重要文化財 金剛力士像2躯(美術工芸品)
 県指定文化財   足利尊氏寄進と伝わる鰐口(美術工芸品)小野道風書と伝わる木造扁額(美術工芸品)
            町石25本(史跡) 両界曼荼羅版木(美術工芸品) 金剛鈴3個(美術工芸品)
 市指定文化財   一石五輪塔(建造物) 木造不動明王坐像(美術工芸品) 懸仏1面(美術工芸品)
            石仏13基(美術工芸品) 石造十三仏(美術工芸品) 鰐口(美術工芸品)
            足利尊氏御教書(美術工芸品) ててうち栗由来版木(有形民俗文化財)

 石龕寺(二)のページはコチラ
 石龕寺(三)のページはコチラ

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