猿田彦神社の稚児行列と太々神楽

このページでは京丹波町の猿田彦神社で行われた中間祭初日の様子を掲載しています。


 京丹波町水原にある旧郷社・梅田春日神社境内に祀られている猿田彦神社は、正中三年(1326年)の創建と伝わり、明治維新の神仏分離令までは梵天帝釈天と称し、広く信仰を集めていました。今でも近郷では本社である梅田春日神社は知らなくても、「水原の庚申さん」と聞けば知っていると答える人が多いそうです。

 そんな猿田彦神社では、60年ごとに巡ってくる庚申の年に社宝である木造帝釈天像を開帳し大祭を催します。また本開帳(大祭)から32年後に中開帳(中間祭)を行い、今年がその中間祭の年にあたっていました。
 猿田彦神社で毎年行われる春季大祭は、最近では4月3日に近い日曜日と決められているようですが、今年の中間祭は4月7日(土)から9日(月)までの3日間となっていました。

 4月7日は午前10時から稚児行列、11時から開始奉告祭、午後1時から添太々神楽・勧学祭・奉納芸能があり、8日は午前9時半から神楽式祭典・記念式典、午後1時半から山車など8基の勇壮な練込みが行われ、最終日の9日は午前9時から終了奉告祭が営まれました。 (※ポスターに書かれていた内容に準じています)
 管理人は残念ながら、初日の午前中しか見学できませんでしたが、可愛い稚児行列や小学児童による太々(だいだい)神楽を見学することができたので、その分だけを紹介したいと思います。

 午前10時に水原公民館を出発した稚児たちは、保護者らに付き添われて国道9号線の歩道を数百㍍歩いて、みんなが待つ境内にやってきました。


猿田彦神社の中間祭

禰宜を先頭に土師川の橋を渡る稚児の行列(2012年4月7日)


猿田彦神社の中間祭

平安装束をまとい造花の桜を手にして歩く稚児(2012年4月7日)


 境内に到着すると猿田彦神社の前で記念撮影です。保護者や地元のケーブルテレビ局のスタッフ、新聞社のカメラマンらが、一斉にシャッターを切ります。


猿田彦神社の中間祭

記念撮影(2012年4月7日)


 稚児行列は大祭と中間祭の年だけの行事ということなので、この子たちにはいい思い出となることでしょう。

 このあと、稚児の中から神楽を舞う女児と、楽器を担当する楽人(がくにん)役の男児が衣装を着替え、全員が揃ったところで祭儀が始まり、神職によって祝詞が奏上され、神前に米や塩、御神酒や果物などの神饌が運ばれました。


猿田彦神社の中間祭

開始奉告祭の模様(2012年4月7日)


 中間祭の開始奉告祭が終わると、児童による太々神楽が奉納されました。

 猿田彦神社は昔から雷除けの神、また雨乞いの神として信仰されていて、氏子の家には雷が落ちないと伝わっているそうです。そしてさらに猿田彦大神は神楽の神としての御神徳があり、明治22年から神楽が奉納されるようになったのだそうです。
 最初の神楽は多紀郡(現在の兵庫県篠山市)から専業の巫女を招いて奉納されていたようですが、昭和13年からは氏子で神楽を奉納することとなり、小学生の女児が巫女を、男児が太鼓などの楽器を奉納するようになったということです。(水原区誌参照)


猿田彦神社の中間祭

子供たちによる太々神楽(2012年4月7日)


猿田彦神社の中間祭
子供たちによる太々神楽(2012年4月7日)

猿田彦神社の中間祭

楽人は男児の担当(2012年4月7日)


猿田彦神社
 住所: 船井郡京丹波町水原宮ノ下(梅田春日神社境内)
 中間祭の期間中は臨時の駐車場がありましたが、普段はありません。
 神楽のあと、氏子代表らによる玉串奉納があり、そこでちょうど昼の12時になりました。管理人の中間祭見学はここで終わりです。それでも次の大祭は約30年後で、それまで生きていられる確率は限りなくゼロに近いので、これだけでも見学できたことを喜んでいます。

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