光明寺

このページでは綾部市の光明寺を紹介しています。


 先日 口丹波から1歩出て、久しぶりに綾部市まで走りました。
 目的は国宝・光明寺二王門(仁王門とは書かず二王門)が見たいと思ったのと、光明寺の近くの山にはいくつかがあり、1ヵ所でも滝が見られたらと思ったからです。

 国道27号線を綾部方面に北上し、山家の交差点を右折し府道1号(小浜綾部)線に入って、ひたすら小浜方面へ走ります。約20km(?)ほど走り、府道51号線と分岐する三叉路を右折(1号線)するとすぐに光明寺を示す標識が左手に見えたので、とっさにハンドルを切り農道に入りました。農道はそのまま林道となり、約3kmの舗装された山道を登ります。どうやらこちらは裏参道のようでした。

 光明寺は君尾山(標高582㍍)の中腹に建ち、推古天皇七年(599年)に天皇の勅願により、聖徳太子によって建立されたと伝わる古刹です。
 寺の案内を読むと、その後役小角が当地で修業し、延喜年中(901~923年)に至って聖宝理源大師によって真言の道場として再興され、寺領は上林地区全域におよび、坊舎は72坊にも及ぶ大寺院となりました。しかし大永七年(1527年)の兵火によって二王門を除く全山が焼失。天文二年(1533年)上羽丹波守が大施主となり再建されましたが、天正年間の(1573~1592年)の戦乱で再度焼失してしまいました。その後本堂は天保十一年(1840年)に再建(堂供養)されました。


光明寺

光明寺の国宝二王門

光明寺
光明寺
阿形
吽形

光明寺

光明寺の国宝二王門


光明寺

国宝二王門から見る参道


光明寺

門を潜り、振り返って見た国宝二王門


 国宝二王門は宝治二年(1248年)の建立で、鎌倉時代における類例の少ない和様系(平安時代以来の建築様式)二重門の遺構です。三間一戸の二王門の屋根は上下とも栩葺(とちぶき)で珍しく、京都府下の古建築物では極めて稀なものなのだそうです。

 裏参道を車で登って来ると、駐車場は山の斜面に離れて建つ国宝二王門と本堂の、丁度中間ぐらいの所にあり、駐車場の並びに庫裏が建ち、国宝二王門へは少し山を下らなければなりません。
 境内の案内板を読みながら、最初に国宝二王門を下りて見るか、急階段を登る本堂を見るか、どっちが楽かで思案して、結局国宝二王門を先に見学する方をチョイスしたのですが、その選択は後で後悔する結果となりました。まだイマイチ腰に不安の残る状態で、国宝二王門から本堂まで一気に登るのは、少々辛いものがありました。


光明寺

本堂までの石段


光明寺

光明寺 本堂


 本堂は桁行5間、梁間5間の入母屋造で向拝は3間です。本堂は府の指定文化財(建造物)です。


光明寺

光明寺 鐘楼から見た地蔵堂


光明寺

光明寺 境内


光明寺

境内の石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)市指定文化財


光明寺
少し色づいてきた境内のモミジ

光明寺

本堂からさらに1段上にある行者堂


光明寺

境内から見える上林の里と山


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君尾山(きみのおさん)光明寺(真言宗醍醐派)
 住所: 綾部市睦寄町君尾1-1
 駐車場有り
 ご本尊は千手観世音菩薩
 光明寺所蔵で、上記以外の文化財は、
 【 府指定・登録文化財 】 鰐口(室町期・美術工芸品・指定) 制札(細川持之禁制案等古文書・登録)
 【 市指定文化財 】 紙本墨書 勧進状・奉加帳(古文書)

 国宝二王門は朱と青の色彩が美しい門でした。とても建ってから750年以上も経過している建物とは思えませんでした。
 また本堂は、このような山中にあって、まずその大きさに驚かされます。境内は広く、高く吊るされた梵鐘も印象的でした。往古に真言密教の修験道場として当地で栄華を極めたその片鱗が窺えたような気がします。


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