道相神社

このページでは南丹市美山町の道相神社を紹介しています。


 旧野々村郷の一宮 道相神社のはっきりとした創建時期などは不明ですが、近隣屈指の古社であることは間違いありません。

 誰もが息をのむほどの美男であった允恭天皇(在位412年12月~453年1月)の皇太子木梨軽皇子(きなしかるのみこ)は、同じく絶世の美女と称えられた同母妹の衣通姫(そとおりひめ)と禁断の恋に落ち、そのために皇太子の地位を奪われ伊予に流されます。衣通姫は皇子の後を追い二人は伊予で心中するという古事記に書かれた衣通姫伝説の、その主人公である木梨軽皇子にまつわる伝承が道相神社に残っています。

 都を追われた木梨軽皇子は、実は都の北方へ逃げ、現在の美山町河内谷に辿り着きました。河内谷では2間四方ほどの岩穴で10年ほど隠棲します。現在その辺りは御所ヶ谷といわれています。
 その後皇子は下流の平屋地区の大内というところに移り土地を開墾しました。この時の皇子の住まいは紫磨城といい、開墾された土地は軽野と呼ばれました。その後皇子はさらに板橋地区に移住し、現在の神楽坂や海老坂の峠道を拓かれ、板橋を永住の地とされたのだそうです。

 皇子は野々村郷を区画して6番(平屋・丸岡・和泉・大野・高野・樫原)33ヶ村の基を作られました。そしてここに一祠を創建して軽野神社と名付け、神武天皇と五瀬命を祀られたのが道相神社の始まりと言われています。皇子の死後、郷民がその遺徳を偲んで皇子も合わせ祀りました。


 また明治期以前の史料には、神社は(正一位)道主大明神や一宮木梨軽大神などの名で書かれていて、道主とは丹波道主命に由来します。丹波道主命は祟神天皇(在位紀元前97年2月~紀元前29年1月)が各地(北陸・東海・山陽・山陰)に派遣した討伐軍の将軍(四道将軍)の1人で、山陰道(丹波)に遣わされた将軍です。
 丹波道主命は最後は野々村郷に居住し、祟神天皇10年(紀元前87年頃)当地で没し祀られたと伝わります。これが道相神社の起源であれば、木梨軽皇子よりもさらに古いものになります。

 このような伝承を持つ道相神社は、旧33ヶ村の氏子さんたちからは今でも道相神社ではなく一宮と呼ばれ崇敬されています。


道相神社

道相神社 正面(2011年10月9日秋期例祭)


道相神社

神門(2009年10月)


道相神社

拝殿(2011年10月9日秋期例祭)


道相神社
本殿(2009年10月)

道相神社

境内(2009年10月)


道相神社

秋期例祭では雅楽が奉納されます(2011年10月9日秋期例祭)


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道相神社
 住所: 南丹市美山町宮脇ヒノ谷43-1
 駐車場はありません。
 御祭神は神武天皇、五瀬命、木梨軽皇子
 旧社格は郷社。
 文政五年(1822年)再建の本殿とほぼ同時期に建立された拝殿府登録文化財(建造物)境内府文化財環境保全地区
 道相神社では古くから25年毎に大祭が営まれ、その時に宮元4集落の氏子によって神楽が奉納されてきました。神楽が始まったのかは不明ですが道相神楽府無形民俗文化財に登録されています。
 また本殿背後の境内には市指定天然記念物カヤの木があります。


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