明隆寺観音堂と地蔵院

このページでは船井郡京丹波町の明隆寺観音堂と地蔵院を紹介しています。


 地元では一般的に大御堂の名で呼ばれる明隆寺(みょうりゅうじ)の観音堂は、室町時代後期の創建とされ国の重要文化財に指定されています。

 観音堂は桁行五間、梁行五間、一重寄棟造りで鉄板仮葺きという大きな建物で、山の中腹で南向きに建ち、礎石は自然石が使われています。

 ご本尊は聖徳太子が自刻した三十余体の観音菩薩のうち丹波国に安置された一体で、この像を祀る霊場として当寺が開創されたと伝わります。
 その後衰退して、文明年間(1469~1487年)に再興されたものの再び荒廃し、天文八年(1539年)に、修行僧の賀蔵主によって細谷から現在地に移されて再興されたのだそうです。

 そしてその後は地元の住民と、近くに建つ地蔵院によって護持されてきました。

 また当初からお寺というよりも、辻堂のような「村のお堂」という性格のものだったようです。


明隆寺観音堂

山の中腹に建つ明隆寺観音堂


明隆寺観音堂

いつも開放されていて中に入れます


明隆寺観音堂

観音堂を支える自然礎石


 観音堂には管理者が常駐されていません。参詣者は自由に中に入れます。堂の中は明かりがないので昼間でも薄暗く、しかも床は土埃が立ち、みなさん土足のまま上がっておられるような感じです。こんなに身近に感じる国の重要文化財も珍しい気がします。


明隆寺観音堂

観音堂内部


明隆寺観音堂

天井組


 昔 当地では養蚕が盛んで、生産された糸は江戸時代和知糸の名で丹波特産と呼ばれるほど、良質の繭を産したそうです。観音堂の境内には宝暦十三年(1763年)建立の蚕の供養塔が建っています。


明隆寺観音堂
蚕の供養塔(左)
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永平寺

明隆寺観音堂

観音堂 参道



 さて、明隆寺観音堂から参道の急な石段を下れば、今は廃校となっている和知第三小学校の運動場があり、運動場の東側が校舎で、その校舎の東側(校舎裏側)の坂道を少し北へ登った所に地蔵院があります。

 寺伝によると、室町時代初期の嘉吉・文安の頃(1441~1448年)備前の僧、剛繁昌金が長老山に登って修行し、たまたま大御堂(観音堂)に寄寓して村人を教化し、村人がその徳望を慕い一堂を建て、昌金を開祖としたのが地蔵院の始まりとされています。正保三年(1646年)に住僧・高円芳和が龍沢寺二世の日照孤峰を開山として曹洞宗に改宗し、自ら第一世となり、二世峰前雲的が伽藍を再建、三世石原心円がこれを継承し、さらに境内を整備して檀徒の教化に務め法地(曹洞宗の寺格)に昇格させました。

 地蔵院は町内では屈指の古寺で、その創建当時から明隆寺観音堂を護持する中心的役割を担ってきたものと思われます。寺宝に釈迦十六善神図(タテ104.5cm、ヨコ52.2cm)があり、室町時代の作と言われ、町から文化財の指定を受けています。


地蔵院

地蔵院 山門


地蔵院

地蔵院 境内


地蔵院

地蔵院から見た和知第三小学校(現在は廃校)

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寿命山 明隆寺観音堂
 住所: 京都府船井郡京丹波町下粟野東反圃(番地不明)
 ご本尊は木造観音立像(京丹波町のHPによると国指定重要文化財)。この像は平安時代後期の作で、一本造り。秘仏であり60年に1度一般に開帳され、最近では平成12年に開帳されました。
 駐車場有り

長谷山 地蔵院(曹洞宗)
 住所: 京都府船井郡京丹波町下粟野東反圃131
 駐車スペース有り(管理人は観音堂の駐車場から歩きました)


 

テーマ : 口丹波
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