水尾 清和天皇陵と清和天皇社


 かつての武家社会において、清和源氏は武家の本流と称され多くのリーダーを輩出しました。そんな清和源氏の始祖となる第56代清和天皇は、山城と丹波の境界にある水尾の山中で静かに眠っておられます。
 ゆずの里で有名な水尾は、背後に愛宕山、前には水尾川の谷が迫る平地の殆ど無い集落ながら、往古より交通の要所として栄えていたそうです。集落内のメイン道路は南北にのびる府道50号1本で、その府道も軽自動車同士の離合すら不可能なほど狭い道路です。府道の西側である下り斜面には一面に柚子の木が植えられていて、今が丁度収穫期を迎えています。


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 民家の殆どは府道の東側の急な斜面に建ち、その勾配のきつさに驚かされます。
 そんな水尾の里を終(つい)の住みかと決心された清和天皇は、閑雅静寂の当地をいたくお気に召したのでした。清和天皇(850-881)は858年にわずか9歳にして天皇に即位し、876年に第一皇子の貞明親王(即位後は陽成天皇)に譲位し、879年に出家されました。その後は主に畿内の霊所を巡拝し、最後にここ水尾で苦行をし隠棲の地に選ばれたのです。
 清和天皇は病により31歳の若さで崩御されました。天皇は荼毘に付され水尾山に埋葬されたので、清和天皇陵は水尾山陵(みずのおやまのみささぎ)と言います。ただ実際の御陵は歴史の中で所在不明となり、現在の御陵は残された資料を元に比定された場所に築かれたものなのだそうです。

 清和天皇陵へ行くには一旦府道から谷を下り、水尾川の橋を渡って対岸の山を登らなければなりません。参道はきれいに清掃されていて歩きやすい道ではありましたが、管理人の衰えた足腰にはかなり厳しいものがありました。


清和天皇陵

水尾山陵


清和天皇陵

水尾山陵  山の中腹にあり周りを木々が囲っています


 清和天皇が崩御された時、水尾では天皇のための新しい仏堂を建立中でした。天皇の崩御を里人は嘆き悲しみ、天皇を祭神とする社を建て、天皇の生母染殿皇后(藤原明子)が崇拝されていた四所大神を合祀して清和天皇社と称しました。以来現在にいたるまで千年以上にわたって清和天皇社は水尾の氏神として祀られています。


清和天皇社

清和天皇社正面  神社は府道東側の山腹に鎮座されています


清和天皇社

本殿覆屋

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清和天皇陵(水尾山陵)
 住所: 京都市右京区嵯峨水尾清和

清和天皇社
 住所: 京都市右京区嵯峨水尾宮ノ脇町

 管理人は集落の手前で、少し道幅の広い所に車を止めて歩きました。水尾は公共の交通機関の利用しにくい所にあります。


 

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