八木城跡

このページでは南丹市の八木城跡を紹介しています。


 南丹市八木町には丹波国守護代内藤氏の居城であった八木城跡が残っています。

八木城

八木城跡の説明

 八木城はキリシタン大名内藤ジョアン(1550?~1626)の城として歴史上有名な山城です。

八木城八木城
内藤ジョアンの顕彰碑登山口標識


クリックで救える命がある。

 JR八木駅に近い八木小学校を過ぎて少し行くと春日神社の真新しい立派な社殿が見えてきます。その春日神社を過ぎたところの三差路に内藤ジョアンの顕彰碑が建てられていて、三差路を左折し京都縦貫道の高架を潜ったところに八木城跡に通じる登山口があります。 八木城は城山という標高約340mの山の頂上に築かれていました。登山道は上に行くほど道幅は狭くなり傾斜も急で、山登りに慣れていない者にとってはかなりキツイものです。 山頂に着くとそこは八木城の本丸跡の石垣が残っています。美しく開けた本丸跡には桜の木が植樹され、ベンチも置かれていました。また山頂からは亀岡盆地を広く見渡すことができ、八木城は要塞機能を十分満たしていた城だったと想像できます。


八木城

この場所に丹波有数の規模を誇った山城が建っていました。


八木城

城跡から見下ろす亀岡盆地


 内藤ジョアン(如安)は1564年に宣教師ルイス・フロイスによって洗礼を受け入信したとされますが、そのフロイスは日本で布教活動をしている間に膨大な記録を残し、現在「日本史」という名で翻訳された書物があります。管理人はその「日本史」を翻訳されたお一人、故松田毅一先生から大学1回生の時にスペイン語を学びました。大変厳しい先生でしたが「日本史」にまつわるご苦労話やフロイスについて語られたお話を、数十年たった今でも思い出すことがあります。
 そんなこともあって、八木城跡にはどうしても1度登ってみたいと思っていました。内藤ジョアンは波乱に満ちた戦国の世を生き、最後は徳川家康によるキリシタン追放令によって、妹のジュリア、同じくキリシタン大名だった高山右近らとともにフィリピンのマニラに追放されました。マニラでは厚遇されたそうですが、日本に戻ることなく異国の地で生涯を終えました。

 八木城はキリシタン大名の城ということもあってか、詳細のわかる資料に乏しく謎の多い城と言えます。
 また地元の言い伝えで、明智光秀の侵攻で八木城が陥落した時、従者とともに内藤氏の姫が城から脱出したものの、明智方に見つかり殺されてしまいました。この時その姫が背負っていたとされる観音像が、現在八木嶋地区の小さな祠に安置されています。祠を建てた時に植えられたムクロジの木は樹齢600年を迎える今も祠のそばに聳えています。


八木城八木城
城郭跡内藤氏所縁とされる観音像を祀った祠(八木嶋) 

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城山(八木城跡)の住所: 京都府南丹市八木町八木内山
城山(八木城跡)は京都府の自然200選に選ばれています。

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