玉岩地蔵堂

 

クリックで救える命がある。

 南丹市日吉町の四ツ谷八景の一つ海老坂帰雁の海老坂とは、昔の若狭街道の峠です。大正年間には、美山町板橋から四ツ谷まで、毎日延べ100人もの女性が各々炭俵を4俵背負ってこの峠を越え、牛馬も7、80頭が越えたほどの主要道路でした。しかし現在は他に車道が整備され、車で越えることのできないこの峠の道を利用する人は、地元の林業従事者ぐらいだと思います。
 さて、そんな海老坂の山道を車で行けるところまで行った所のすぐ先に、玉岩地蔵堂が建っています。着いてまず驚かされたのは、地蔵堂と聞いて想像していたイメージとは大きくかけ離れた建物の立派さです。谷の斜面に積み上げられた石垣はまるで城壁のようでした。境内には地蔵堂庫裏が並んでいて、庫裏の方へは行けないようになっていました。地蔵堂裏の庭には巨岩が横たわり、一部はお堂の中にくい込んでいます。実はこの巨岩をくり抜いた中に石造玉岩地蔵尊が安置されていて、地蔵堂はこの巨岩を取り囲むように建てられているのです。案内板に書かれている縁起を読むと、長保年間(999~1003年)若狭出身の八百比丘尼(はっぴゃくびくに)が地蔵尊を背負って諸国行脚を終え、若狭へ帰る途中にここで休憩された時、どうしたことか背負っていた地蔵尊が動かなくなり、そのままこの地に安置されたということです。そしてその後寛文三年(1660年)に現在の本堂と庫裏が再建されたのだそうです。



玉岩地蔵堂

石垣の上に見える玉岩地蔵堂の庫裏



玉岩地蔵堂

玉岩地蔵堂



玉岩地蔵堂

地蔵堂にくい込んで横たわる巨岩


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 京都情報へ


玉岩地蔵堂(たまいわじぞうどう)
 住所: 京都府南丹市日吉町四ツ谷
 市指定文化財……玉岩地蔵堂及び庫裏(建造物)、石造玉岩地蔵尊(美術工芸品)、海老坂宝篋印塔(建造物)

八百比丘尼
 日本の人魚伝説で有名。若狭の貧しい漁村で暮らしていた少女がこっそりと人魚の肉を食べたことで、不老不死となり、親を亡くし、何人もの夫に先立たれ、最後に尼となって全国を行脚した後、800歳の時に若狭の小浜に戻り岩窟に籠たまま二度と出て来なかったというもの。伝説所縁の地名には綾部市に、やはり旧若狭街道の尼来峠があります。

 

PR
   

 

テーマ : 口丹波
ジャンル : 地域情報

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

アタ

Author:アタ
よろしくお願いいたします。

目  次
ページ検索が容易にできます。
関連サイト
口丹波の社
口丹波の花と植物
三枚山の植物
花っていいね!
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
訪問いただいた方
企業リンク

ウッドマート

 

 

 

検索フォーム
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
スポンサード・リンク