丹波基督教会氷所会堂址(2) 八重の桜

このページでは丹波基督教会氷所会堂址で行われた滝桜の植樹式を掲載しています。


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 11月5日に掲載した丹波基督教会氷所(ひどころ)会堂址の記事の続編です。前回の記事中の誤りと、不確かだった部分で判ったところもあり、ここで訂正も兼ね改めて紹介することにしました。

 12月9日の今日、午前10時から丹波基督教会氷所会堂址で三春滝桜の苗木の植樹式が行われました。
 実物は見たことがありませんが、三春滝桜というのは日本五大桜、あるいは三大巨桜と称される、樹齢1000年以上のベニシダレで、国の天然記念物に指定されているサクラです。

 三春滝桜の苗木は、京都府とJA京都中央会が東日本大震災の復興支援の一環でJA福島中央会を支援し、そのお礼に譲り受けたものです。福島県は新島八重のふる里であり、その縁で新島襄ゆかりの当教会堂址地に植樹されることになりました。


八重の桜

滝桜贈呈・植樹式(2012年12月9日)


 滝桜の贈呈・植樹式には、福島県から来られたJA福島中央会の方、京都府知事代理、地元南丹市や氷所区の代表らが参集されました。
 管理人は会堂の中に初めて入らせていただきました。前回の記事では、今の会堂を「平成13年に建てられた」と書きましたが、実際は平成15年に改修されたということでした。確かに天井の梁などは古い無垢の木材が使われていました。


八重の桜

会堂の天井(2012年12月9日)


 会堂址の案内板(前回訪ねた時には堂内にあって見ることができませんでした)にはこう書かれていました。

「明治8年京都に同志社が創設される。校長新島襄の指示に従い宣教師や学生たちが丹波に伝道活動を行う。明治17年丹波教会設立。会堂(船枝会堂)建築される。明治19年新島襄自ら丹波伝道に参加。この地氷所にも人見次郎八ほか多くの求道者起こる。明治26年4月26日氷所会堂完成。 昭和になり氷所の教勢は次第に衰え、会堂は貸与の後売却され納屋となったため、昭和34年敷地内に『氷所会堂址』記念碑が建立される。しかし建物自体は風雪によく耐え、まさに朽ち落ちる直前の平成15年3月31日に八木町によって修復される。」

 前回の記事では曖昧にしていましたが、氷所会堂には確かに新島襄が深くかかわっていたようです。


八重の桜

滝桜の贈呈式(2012年12月9日)


八重の桜

滝桜の植樹式(2012年12月9日)


 氷所区は名前に氷とあるように、昔は夏に御所へ届ける氷を貯蔵するための氷室のあった地で、この日の早朝も大変冷え込んでいました。しかし式典の間はよく晴れ渡り、心地よい空気の中での植樹式でした。


八重の桜

滝桜の苗木(2012年12月9日)


 苗木と言っても10㍍以上ありました。10tonトラックで運ばれて来たそうです。


八重の桜

記念撮影(2012年12月9日)


 式典は約1時間で終了しました。

 会堂址と共に、八重の桜と名付けられた滝桜は、この先長く地元のシンボルとなることだと思います。

 最後に、会堂の中には、自筆でしょうか、新島襄の書が揚げられていました。


八重の桜
新島襄の書

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丹波基督教会氷所会堂址
 住所: 南丹市八木町氷所河原
 問合せ先は南丹市役所。
 JRの最寄り駅は八木駅。
 公共交通機関(バス)もありますが、本数は少なく、自動車かタクシーを推奨します。ただし会堂は施錠してあることの方が多いので、内部の見学を希望される場合は必ず事前に南丹市役所へ問合せした方がいいでしょう。


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丹波基督教会氷所会堂址

このページでは南丹市にある丹波基督教会の会堂址を紹介しています。

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 来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」は、同志社大学を創設した新島襄の妻・八重が主人公ということで、八重の足跡を訪ねて京都にも多くの観光客がやって来られることだと思います。

 南丹市には八重ではなく、新島襄が設立したと地元で伝わる教会の跡地が残っています。それが、丹波基督教会氷所(ひどころ)会堂址です。


丹波基督教会氷所会堂址

丹波基督教会氷所会堂址(2012年11月)


 新島襄(1843~1890)が同志社を創設したのは明治8年(1875年)で、丹波教会は明治19年に設立されたそうです。同志社開校後、京都市やその周辺地域では、活発なプロテスタントの布教活動が行われ、口丹波(南丹)地域でも盛んに伝道されたということです。丹波教会設立に新島襄が深く係わっていたことは間違いないと思われます。

 八木町誌には、「明治20年頃から、黒住教、金光教、キリスト教、天理教、妙霊教と、各宗派神道等が入り乱れてきたが、云々」とあり、丹波教会は丹波のキリスト教伝道の中心だったみたいです。


丹波基督教会氷所会堂址

丹波基督教会氷所会堂址(2012年11月)


 現在の建物は平成13年(2001年)に建てられたもので、それ以前にあった建物のことを土地の古老に尋ねると、解体される60年ほど前には既に古い木造の建物だったらしく、明治の建物が平成の時代まで残っていたのかも知れません。


丹波基督教会氷所会堂址
丹波基督教会氷所会堂址(2012年11月)

 建物は南丹市が管理しています。この日は会堂もトイレも鍵がかけられていて、中を覗くことはできませんでした。

 現在は氷所区内にキリスト教の信者のお宅はないようですが、明治時代には近隣を含めて多くの信者が、この会堂に集まったことだろうと思うと、その時代の当地一帯はどのような土地だったのか興味が湧いてきます。


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丹波基督教会氷所会堂址
 住所: 南丹市八木町氷所河原
 問合せ先は南丹市役所。
 口丹波地域では最古級の教会だったと思います。教会の前から遊歩道が整備され、住民の散歩やウォーキングに利用されています。


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鐘打鉱山跡

このページでは京丹波町の鐘打鉱山跡を紹介しています。


 先のヒキガエルを紹介した時に、「安栖里の金刀比羅神社に参拝して……」と書きました。金刀比羅神社の社殿が今の場所に建立されたのは明治元年です。

 その金刀比羅神社の一の鳥居のそばに、コンクリートでできた古い施設跡が残っています。施設跡の前には木が生い茂り、何やら不気味な雰囲気が漂います。中を覗き込んでみると、多くの粗大ゴミが捨てられていました。こんな場所にまで不法投棄にやって来る者がいるのかと、呆れてしまいます。

 金刀比羅神社が鎮座される鐘打山は、良質なタングステンを埋蔵していて、大正時代の終わり頃から大規模な採掘が行われていたそうです。神社の隣の施設跡は、鉱山の遺構でした。


鐘打鉱山

金刀比羅神社横にある鐘打鉱山の遺構(2012年3月)


 鐘打鉱山では1982年(昭和57年)に閉山されるまで、約60年にわたりタングステンが採掘されていました。戦後の混乱期には一時採掘は中断されたようですが、第二次世界大戦中の産出量は国内1位の月産30トンにものぼったそうです。山中に鎮まっていた神社も、この頃はさど賑やかだったことでしょう。

 神社の周辺を歩くと、鉱物マニアの人がよく訪れている形跡が見られます。所々獣の仕業とは思えない堀跡があったり、故意に割られたと思える石が転がっていたりしています。石や鉱物に関しては、まったく無知な管理人には判りませんが、マニアにとってはお宝の山なのかも知れません。


鐘打鉱山

割られたと思える石英のような石(2012年3月)


鐘打鉱山

神社の裏に転がっていた石(2012年3月)


 神社からの帰路、注意しながら徐行していると、他にも鉱山の遺構が見つかりました。


鐘打鉱山

坑道跡(2012年3月)


 坑道跡の入口はブロックで塞がれていました。ブロックの片隅に開けられている水路から、少し濁った水が勢いよく流れ出ています。


鐘打鉱山

工場か作業員の住居跡と思える遺構(2012年3月)


鐘打鉱山

山の中腹にも施設跡らしきものが(2012年3月)


 神社から500㍍ほど戻ると、道路脇を流れる川が浅瀬になっている所があって、ぶらっと下りてみると、先ほど見た石と同じような白い石が、流れに洗われていました。こちらの石は角が丸くて不注意で手を切ることもなさそうだったので、コブシ大のものを1個と、5㌢ほどの小さな石を1個、家でゆっくり観察しようと持ち帰りました。でもやっぱりそれはその時だけの考えで、持ち帰った石は納屋のプラケースに入れたままになっています。


鐘打鉱山跡で拾った石

持ち帰った石(2012年3月)


 上の写真の石は金属質な結晶のようなものが見られたので持ち帰りました。自宅で水洗いをしている最中に、パキッと割れて、指を切ってしまいました。気をつけていたつもりでもこの様です。


鐘打鉱山跡で拾った石
持ち帰った石 チャートのような層に金属光沢が見られます(2012年3月)

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鐘打鉱山
 住所: 京丹波町安栖里鐘打山
 最近まで、口丹波の鉱山は亀岡市の大谷鉱山ぐらいしか知りませんでした。しかし鐘打鉱山を知ると同時に、近隣には数多くの鉱山があり、かつてはタングステンやマンガンが多く産出されていたことを知りました。
 かつて鉱山で栄えた歴史があったことと同様に、下流域にカドミウム汚染等の公害が発生した歴史もありました。
 京都府のRDBで鐘打鉱山は、地質レッドリストの消滅寸前にあげられています。


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野々村仁清(にんせい)生誕地

このページでは京焼の祖、野々村仁清の生誕地を紹介しています。


 陶工・野々村仁清(俗名・清右衛門 通称・清兵衛)の生没など、詳しいことはわかっていませんが、江戸時代の初期に丹波国桑田郡野々村庄大野村に生まれたとされています。

 また仁清の生家と伝わる家の前に掲げられた、美山町大野区・仁清をたたえる会作成の案内を読むと、仁清は慶長十八年(1613年)に大野の野々村家に生まれ、寛永元年(1624年)の数え年12歳頃に、大野と同じ篠山領内の立杭(現在の篠山市)へ奉公に出たそうです。そこで過ごした11年間は、「土練り3年、ロクロ7年、並行して窯焚10年とお礼奉公1年」で、彼はそこで蹴ロクロや手びねり、たたら作りなどの技術を磨き、丹波壺を中心に生活用品の作陶の修行を積みました。

 11年の年季が明けると、仁清は京の粟田口に赴き、粟田口焼、信楽焼から唐や高麗物の様々な写しを修行しました。
 さらには、尾張瀬戸で手ロクロでの茶碗、肩衝茶入(かたつきちゃいれ)、ルソン壺の写しの専門的な茶入稽古修行をし、絵薬の開発研究をしたそうです。
 瀬戸から京へ戻った仁清は、仁和寺門跡と宮方の茶匠金森宗和(重近)の知遇を得て、仁和寺門前の御室窯で作陶します。彼はロクロや手びねりの冴えに加え、きれいさびと言われる純日本風の金銀五彩に緑、紫などを加えた色絵陶を完成させ、陶芸作家としての誇りと清水焼の発展の基礎を作りました。

 大野村には野々村姓の家が多く、野々村姓の祖は菅原道真公の庶子慶能法師だと言われています。野々村仁清の生家の近くには、菅原道真公と野々村頼房(慶能)親子を祀る天満宮や慶能塚跡があります。


天満宮(美山町大野)

天満宮(美山町大野)


慶能塚

慶能塚跡(美山町大野)


 野々村家は本家が三家(上庵・中庵・下庵)に分かれ、江戸時代には七軒に分かれます。その七軒は代々養子も含めて概ね「武」「利」「勘」「清」「金」「忠」「辰」などを襲名しています。
 仁清の家は中庵で、屋号伊予(いの)より分家しているようで、概ね「清」を襲名してきました。その家は弘化三年(1846年)に忠七という中興の祖が現れて、今でも屋号となっているそうです。


(伝)野々村仁清生家

野々村仁清の生家と伝わる茅葺屋根の住宅(美山町大野)


 この家の母屋は江戸中期以降に改築され、江戸中期の材料を使った平入りですが、食い違いの間取りや、妻側の広さから、かつては妻入りのであった可能性があるそうです。

 野々村仁清は数え年44歳頃の明暦二年(1656年)に仁和寺宮から「播磨大掾(だいじょう)を受領し、藤原姓と、仁和寺のの1字を下賜されて、仁清(野々村播磨大掾藤原正廣仁清・略して野々村播磨大掾藤正仁清)と号するようになりました。

 仁清はロクロの天才と言われ、仕上げの薄さは絶妙で、神技と称されています。彼は自分の作品に仁清の印を捺し、作品だけでなく芸術家としての自身の価値も高めていきました。

 野々村仁清は元禄七年(1694年)末頃に没したと考えられています。80歳以上の長寿を全うした陶芸家でした。彼の墓所は仁和寺に近い宇多野妙光寺境内にあるそうです。かつて大野の野々村家の菩提寺である蓮乗寺では、仁清が生前に妙光寺境内に逆修の石碑を建立した3月5日を命日として、回向を行っていました。


蓮乗寺
日蓮宗 蓮乗寺(美山町大野)

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野々村仁清生誕地
 住所: 南丹市美山町大野
 管理人が小学生の頃、級友の間で一時切手の収集が流行り、切手に興味を持ったことがあります。その時、キジの絵が書かれた横長の切手に憧れた記憶があります。もちろんその時はその絵が何なのかなど、まったく知り得ませんでした。あれから何十年も経って、切手の絵が仁清の色絵雉香炉(国宝)であることを知りました。

 野々村仁清は茶壺、茶碗、香炉など多くの作品を残しています。数ある代表作の中で、2点が国宝、20点(2012年1月 Wikipedia参照)が重要文化財に指定されています。


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