石田家住宅


 南丹市美山町の山間に静かに佇む石田家住宅は、国指定の重要文化財にもなっている古民家で、旧丹波東部でよく見られる、総じて北山型民家と称される民家で、年代がわかるものとしては最古と言われています。


石田家住宅

道路から見える石田家住宅の屋根


 石田家住宅の庭に立てられた説明板には以下のように書かれています

  重要文化財  石田家住宅 1棟(桁行9.4㍍、梁間9.9㍍、入母屋造、妻入、茅葺)

 石田家住宅はしばしば樫原で庄屋を務めた旧家である。昭和48年10月より18ヵ月をかけて解体修理がなされ、この時に「慶安三年(1650)三月十一日」の墨書が発見され、建立年代が確定され、現在年代の明らかな民家としては最古と言われている。
 この住宅は入母屋造、茅葺で西妻側に入口を設ける妻入とする。正面は棟通りで表・裏側と二分割され、表側の奥より座敷「オモテ」下座敷「シモンデ」馬屋「マヤ」裏側は納戸「ヘヤ」台所「ダイドコ」土間「ニワ」と並ぶ。オモテだけが畳敷で、間仕切は板壁と袖板壁片引戸で区切られ、ダイドコとヘヤ境に帳台構が二間並び面白い。土間は床面近くまで土を盛上る「アゲニワ」とする。小屋組は棟束と母屋束・繋梁で構成される「巾」字型の「おだちとりい」組と呼ばれる形式で組まれている。
 当家のような独特の形式を「北山型民家」と総称され、(旧)北桑田郡を中心とする丹波地方東部に分布し、石田家住宅はその最も古い例で、指標となる貴重な民家である。

(美山町教育委員会・美山の文化財を守る会)


石田家住宅
石田家住宅平面図
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石田家住宅

土間(ニワ) 古い時代の北山型民家ではアゲニワがよく見られたそうです


石田家住宅

ダイドコ  奥の部屋との境は袖板壁片引戸


 石田家住宅のように個人が所有されている文化財を見学させていただくには、必ず事前の連絡が必要だと思っていたのですが、この住宅は違っていました。今回管理人は大原神社に立ち寄った際に、神社からほんの200㍍ほど先にある石田家住宅へ行ってみると、住宅の管理者さんは不在で留守番をされているのか、おばあさんがお一人縁側に座っておられました。管理者さんが不在の時には庭を荒らす猪や鹿が入らないように防護ネットが入口を塞ぎ人も入場できないようになっているそうで、おばあさんがいて下さってこの日はラッキーでした。

 そのおばあさんに勧められて室内も見学させていただくことができました。室内のオモテやダイドコなどは整然としていていました。質素で静かで心の落ち着く空間です。また上の写真のニワや、写真はありませんが馬屋内に置かれた古い農機具や2階に積まれた藁や建具、木材は、一見雑然とした感があります。農機具は昭和40年代頃まで使用されていた雑穀機などがありました。


石田家住宅

1階天井は中央の天井桁で竿縁天井を受け、根太方式の天井に似ています


石田家住宅

2階小屋組  棟木頂部から垂木(タルキ)が葺き下ろされる

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石田家住宅
 住所: 京都府南丹市美山町樫原
 石田家住宅の管理者さんのホームページはコチラ
 住宅に入る手前には教育委員会が書かれた説明板のほかに、管理者さんのメッセージや説明、諸注意等が張り出されていました。解体修理時に発見された墨書のコピーや、クマの目撃情報、獣除けの防御ネットの事などが書かれていますが、その中で重要文化財を個人が所有することのご苦労も書かれていました。例えば住宅の茅葺屋根の葺き替え工事が約1000万円で、そのうち約400万円は個人負担なのだそうで、個人負担を無くすには住宅を行政(国、府、市のどれかはわかりませんが)に寄付するしか手立てがないそうです。クマなどの希少動植物の保護対策も含めて、この辺りにこの国の貧しさを感じます。経済だけの先進国で、歴史遺産や伝統の継承と育成、自然保護などでは先進国にかなり遅れをとっているように思います。


 

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八木城跡

このページでは南丹市の八木城跡を紹介しています。


 南丹市八木町には丹波国守護代内藤氏の居城であった八木城跡が残っています。

八木城

八木城跡の説明

 八木城はキリシタン大名内藤ジョアン(1550?~1626)の城として歴史上有名な山城です。

八木城八木城
内藤ジョアンの顕彰碑登山口標識


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 JR八木駅に近い八木小学校を過ぎて少し行くと春日神社の真新しい立派な社殿が見えてきます。その春日神社を過ぎたところの三差路に内藤ジョアンの顕彰碑が建てられていて、三差路を左折し京都縦貫道の高架を潜ったところに八木城跡に通じる登山口があります。 八木城は城山という標高約340mの山の頂上に築かれていました。登山道は上に行くほど道幅は狭くなり傾斜も急で、山登りに慣れていない者にとってはかなりキツイものです。 山頂に着くとそこは八木城の本丸跡の石垣が残っています。美しく開けた本丸跡には桜の木が植樹され、ベンチも置かれていました。また山頂からは亀岡盆地を広く見渡すことができ、八木城は要塞機能を十分満たしていた城だったと想像できます。


八木城

この場所に丹波有数の規模を誇った山城が建っていました。


八木城

城跡から見下ろす亀岡盆地


 内藤ジョアン(如安)は1564年に宣教師ルイス・フロイスによって洗礼を受け入信したとされますが、そのフロイスは日本で布教活動をしている間に膨大な記録を残し、現在「日本史」という名で翻訳された書物があります。管理人はその「日本史」を翻訳されたお一人、故松田毅一先生から大学1回生の時にスペイン語を学びました。大変厳しい先生でしたが「日本史」にまつわるご苦労話やフロイスについて語られたお話を、数十年たった今でも思い出すことがあります。
 そんなこともあって、八木城跡にはどうしても1度登ってみたいと思っていました。内藤ジョアンは波乱に満ちた戦国の世を生き、最後は徳川家康によるキリシタン追放令によって、妹のジュリア、同じくキリシタン大名だった高山右近らとともにフィリピンのマニラに追放されました。マニラでは厚遇されたそうですが、日本に戻ることなく異国の地で生涯を終えました。

 八木城はキリシタン大名の城ということもあってか、詳細のわかる資料に乏しく謎の多い城と言えます。
 また地元の言い伝えで、明智光秀の侵攻で八木城が陥落した時、従者とともに内藤氏の姫が城から脱出したものの、明智方に見つかり殺されてしまいました。この時その姫が背負っていたとされる観音像が、現在八木嶋地区の小さな祠に安置されています。祠を建てた時に植えられたムクロジの木は樹齢600年を迎える今も祠のそばに聳えています。


八木城八木城
城郭跡内藤氏所縁とされる観音像を祀った祠(八木嶋) 

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城山(八木城跡)の住所: 京都府南丹市八木町八木内山
城山(八木城跡)は京都府の自然200選に選ばれています。

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かやぶき音楽堂


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 普段は京都市内に暮らす、世界的な音楽家ザイラー夫妻は暇を見つけては丹波の山奥に所有されているかやぶきの田舎家に行き、音楽活動と農業をされているそうです。
 母屋の裏手にこれもかやぶきの音楽堂を建てられ、グランドピアノを据えて定期的にコンサートも開かれています。約300人が収容できるこの建物は天明四年(1784年)に建てられた福井県の善応寺(旧清源寺)の本堂を平成元年に移築したもので、母屋も含め現在国の有形文化財に登録されています。

かやぶき音楽堂入口かやぶき音楽堂
かやぶき音楽堂入口かやぶき音楽堂

かやぶき音楽堂

かやぶき音楽堂 葺き替えられた美しい屋根


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かやぶき音楽堂
 住所:京都府南丹市日吉町上胡麻南2
 詳しく知りたい方は公式サイトへ  (公式サイトではコンサートの日程なども確認できます)

 

 

 

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大原の産屋(うぶや)

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 京都府福知山市三和町大原には、京都府の有形民俗文化財に指定されている産屋があります。
国道9号線と交差する和田の交差点から国道173号線を綾部市方面に車を走らせると、京都府下唯一の鍾乳洞である質志(しずし)鍾乳洞(京丹波町)に着きます。そこからさらに約3kmほど走ると福知山市の大原地区に入りますが、大原地区には近隣で最も信仰を集めている天一位・大原神社が鎮座されています。産屋はこの大原神社とは川の対岸、約100mほどの川端にありました。

 産屋は古事記にも登場する、土台もなく茅葺の切妻だけがポンと置かれたような原始的な建物(天地根元造)で、間口と奥行きがそれぞれ約3mほどの小さな建物です。

 大原神社でいただいたパンフレットには次のように書いてあります。

 出産の節は12把の藁(閏年は13把)を敷いてその上に敷物を敷き、出入口に古鎌を魔除として釣り、産婦は7日7夜この産屋に籠り、かつて難産した者が無く、これは神の霊験を事実に依って証明したものであると堅く信じられている。

 つまり当地の出産を迎えた妊婦は皆この産屋に7日間籠って出産をしてきましたが、難産した妊婦は一人もいなかった。これは大原神社の神のご加護のお陰と信じられてきました。
 この産屋で出産をする風習は、大正時代まで続き、産後3日3夜籠る風習はその後変遷して産後1日1夜籠るようになり、昭和23年ごろまで続いたとあります。

 山深い大原の里は冬には大雪に見舞われることもありますし、夏にはマムシも多い地域です。また一年を通してイノシシやシカは人の数より多い山里ですし、クマも時々現れます。現代の我々には想像もできない過酷な状況の中で出産をされていたものだと思わずにはいられませんでした。


産屋

大原の産屋


産屋

大原の産屋


産屋

大原の産屋


大原の産屋の案内板はコチラです。

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大原の産屋
 住所:京都府福知山市三和町大原
 産屋の砂を子安砂といい、古くは公卿諸侯もこの砂を大原神社より頂き安産守護とした記録が残っています。現代も妊婦はこの砂のお守りを求めて大原神社に参拝します。
当ブログ内関連ページ 大原の大杉はコチラ

 

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